見ているだけでも楽しい新書
こちらの新書は、カラー印刷で絵画が見られるので、見ているだけでも楽しめました。
「印象派」というと、モネの「睡蓮」や「日の出」が有名です。
私は絵画についてほとんど知識がありません。
しかし箱根のポーラ美術館でモネの絵画を見て、「絵画の知識がもっとあれば楽しめたのに」と思ったためこの本を読んでみることにしました。
全部で211ページと少なめなので、とても読みやすかったです。
常識は時代によって変わる
ポーラ美術館で見た「睡蓮の池(モネ作)」は、遠くから見ると睡蓮に光が当たっている柔らかい絵です。
しかし近づいてみると細かい絵具の点や線で構成されており、驚いたのを覚えています。
なんとなく日本の絵画にも似たふんわりと優しい雰囲気の絵で、たくさんの人が集まっていました。
印象派の絵画は今では世界中にファンが多く、日本でもたくさんの美術館に展示されています。
しかし印象派が生まれた1860年代は「こんなものは絵ではない」という評価が圧倒的で、全く価値を与えられていなかったようです。
印象派が誕生する前の絵画は、神話や聖書の内容を表現したものが主流で、ごく一握りのエリートにしか理解できないようなものでした。
専門家であれば「ヴィーナスにはリンゴ」というようなアトリビュートの知識があるので、その絵が誰を表しているのかわかるのですが、一般の人には分かりません。
そういった「知的」な位置づけを嫌い、単純に絵として楽しめるものを描こうとしたのが印象派です。
時間が経つと、当時の「常識」とは全く違った評価がなされています。
同じように、いま常識と思われていることも150年ほど経てば全く違う評価になるのかもしれません。
人間の本質は変わらない
印象派の誕生した1870~1900年代は、産業革命が起こった時代でもあります。
それまでは王政が長く続き、貴族と庶民の間には歴然たる違いがあったのですが、産業革命で社会が豊かになると庶民でも余暇を楽しめるようになりました。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会(ルノワール作)」で見られるように、庶民が豊かさを手に入れた素晴らしい時代です。
国民はみな平等ということになったのですが、階級意識の染みついた人間に急にそんなことを言われても意識は付いていけるはずはありません。
急激に成功した新興のブルジョワは、血統書のついた由緒正しい貴族にはなれないので、労働者階級とは違うということを見せつけるため、贅を凝らした生活で差別化を図りました。
そしてパリの街は労働者地区の東部と、ブルジョワの住む西部に区分けされました。
それから100年以上経った現代の日本でも、2018年10月には高級住宅地の青山に児童相談所建設をするかどうかで住民の抗議が起こっており、通じる部分があると思いました。
どれだけ時代が変わっても、色々と分類したがる人間の本質は変わらないのかもしれません。
「にもかかわらず美しい」
絵画を見るとき、登場人物の衣装や背景などから、当時の時代背景を見ることができます。
例えば「エトワール(エドガー・ドガ作)」は、バレリーナが優雅に踊っている絵です。
現代ではバレエはお金持ちの習い事といったイメージが強いので、裕福な家のバレリーナがきれいに踊っている絵としか見られないですが、当時の背景を知ると全く違うことが分かります。
当時、フランスのバレエはオペラの添え物としての価値しか認められておらず、下層階級のバレリーナは、お金持ちのパトロンに気に入られることで良い役がもらえるといった関係が当たり前だったようです。
その証拠に、バレリーナの後ろにはパトロンと思われる燕尾服の男性の姿が見られます。
こういった時代の背景を知ると、単なるきれいな絵というだけではない見方ができて面白いです。
絵の背景を知ると、光だけではない歴史の闇の部分も見えてきてしまいます。
それを知って、人間に幻滅することもできます。
しかしこの本の著者が最後にまとめているように、「にもかかわらず美しい」のが絵画の魅力だと感じました。
色の取り合わせや構図が美しいのはもちろんですが、なぜその絵が描かれたのか、どういった背景があるのかと考えることでより理解が深まります。
光も闇も含めた背景の奥行があるからこそ、その中に美しさがあるのではないでしょうか。
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